国名 バングラデシュ人民共和国(The People's Republic of Bangladesh)
国土
位置 北緯20度34分~26度38分、東経88度01分~92度41分 (緯度はほぼ台湾と同じ)
面積 14万7,570㎢(日本の約5分の2)
国土はその源流をヒマラヤに発するガンジス川とチベットに発するブラマプトラ川が合流し大河となってベンガル湾に注ぐ世界最大のデルタ地帯にある。全面積の約80%は海抜9m以下。雨季には可耕地(910万ha)の約3分の1が水没する。
気候
亜熱帯モンス-ン気候。高温多湿。夏季(3~5月)、雨季(6~10月)、乾季(11~2月)の3つに分けられる。年間降水量の8割は雨季に集中。ダッカの年間平均降雨量は2,300mm。
人口 1億4,450万人(2008年7月、暫定値 バングラデシュ統計局)
社会指標等
人口増加率: 1.5%(2007年)
出生時平均余命: 66歳(2007年)
合計特殊出生率(TFR): 2.9人 ※注1 (2007年)
出生率(CBR): 25人/1000人 (2007年)
死亡率(CDR): 8人/1000人 (2007年)
乳幼児死亡率: 47.0人/1000人 ※注2(2007年)
成人識字率(15歳以上): 53.5%(2007年)
初等教育総就学率: 男88.0%、女95.1%(2007年)
中等教育総就学率: 男42.0%、女44.7%(2007年)
高等教育総就学率:7.2%(2007年)
※注1 :合計特殊出生率=1人の女性が一生の間に出産する子どもの数
※注2 :乳幼児死亡率=1歳の誕生日を迎える前に死亡する人口千人当たりの乳幼児数
出典 World Development Indicators Online(Octover2009) World Bank, UNICEFウェブサイト
言語 国語はベンガル語
宗教
イスラム教の国教化(1988年6月7日)
イスラム教徒 89.7% ヒンドゥ-教徒 9.2%
仏教徒 0.7% キリスト教徒 0.3% (2001年国勢調査)
国旗
緑地の中に朱色(ブリリアント・オレンジ)の円。緑は緑の豊かさと国民の
力強さ・若々しさを、朱色は勝ち取った独立を昇り行く太陽にたとえている。
(上段は独立当初の国旗、下段は現在使用されている国旗)
。国章
水面で開花した水蓮の7花弁を中央に、左右に稲穂を、上部には左右に2つずつの星と中央に3葉のジュ-トの葉が描かれている。
アジアで初めてノ-ベル文学賞を受賞した(1913年受賞作“ギタンジャリ”)
ベンガルの詩聖ラビンドラナ-ト・タゴ-ル(1861-1941年)のAmar Sonar Bangla(わが黄金のベンガル)の詩の最初の10節。後頁参照。
国動物 ベンガル・タイガー
共和制(1991年9月18日、大統領制から議院内閣制へ移行)
元首
ジルル・ラーマン大統領
大統領は国会議員により選出され、首相の助言に基づき行動。(象徴的な存在)
任期は5年。
国会
一院制で総議席は345議席。このうちの45席が女性議員のために保留されている。
国会議員の任期は5年。
選挙:直接選挙、小選挙区制。選挙権は18歳以上。
被選挙権は25歳以上。(市民権を有する男女)
主要政党 (2010年2月現在)
与党(議席) 305議席
アワミ連盟(AL) 271議席/シェイク・ハシナ党首
国民党 29議席
バングラデシュ国民社会党 3議席
野党(39議席)
バングラデシュ民族主義党(BNP) 35議席/カレダ・ジア首相(党首)
ジャマティ・イスラミ(JI) 2議席
ジャティヤ党(BJP) 1議席
自由民主党(LDP) 1議席
無所属 1議席
空席(1議席)
司法
県裁判所
簡易裁判所 (刑事事件、民事事件)
地方行政
全国は6地方(ダッカ、チッタゴン、クルナ、ラッシャヒ、ボリシャル、シレット)
64県、507郡、4,484ユニオン、59,990の村から構成されている。
経済指標
輸出:衣料品(36.6%)、ニットウェア(39.2%)、魚介類(3.8%)、ジュート製品(2.3%)、革製品(2.0%)
輸入:石油製品(10.6%)、繊維(9.7%)、機械機器(8.5%)、穀物類(7.2%)、化学薬品(6.2%)、食用油(5.2%)、鉄鋼製品(4.6%)、綿花(4.6%)
日本への輸出額:173百万ドル(2008年、JETRO)
主にエビ・縫製品・革製品・カメラ部品など。
日本からの輸入額:832百万ドル(2008年、JETRO)
主に船舶・鉄鋼・自動車・機械など。
日本の援助実績(2008年度)
有償資金協力 397億 4900万円
無償資金協力 42億 7100万円
技術協力 16億 4100万円
参考文献
外務省ウェブサイト各国・地域情勢
祝祭日(年間21日)
★ 日付の変わらない祝祭日(7日)
2月21日 Shaheed Day 言語運動の殉死者追悼日
3月26日 Independence Day 独立記念日
4月14日 Bengali New Year's y Day ベンガル暦新年
5月 1日 May Day メーデー
11月 7日 Solidarity(National Revolution)Day 革命・連帯記念日
12月16日 Victory Day 戦勝記念日
12月25日 Birthday of Jesus Christ クリスマス
☆ 毎年日付が変わる祝祭日(14日)
Shab-E-Barat 天に明年の運命が記される日(回教)
Shab-E-Qadar コーラン天啓の夜
Jumut-Ul-Bida 断食最後の金曜日
Eid-ul-Fitr 断食明け祭(3日間)
Eid-ul-Azha 犠牲祭(3日間)
Moharram イスラム暦新年
Eid-e-Milad-un-Nabi マホメット降誕祭
Buddha Purnina 仏陀生誕・成仏・入滅祭(仏教)
Janmashtami クリシュナ生誕日(ヒンズ-教)
Durga Puja ドゥルガ女神祭
休日について
官庁………… 9:00~17:00 (金曜は休日、土曜は休日のところもある)
銀行………… 10:00~16:00 18:00-20:00 (金曜・土曜は休日)
商店………… 10:00~20:00 (金曜は休日のところもある)
また、交通渋滞緩和のため、地区によって休日が異なる。
ベンガル暦とイスラム暦について
ベンガル暦:ベンガル人学者を含む多くの学者の意見を聞き、アクバル大帝が定めた暦。
例えば西暦1993年はベンガル暦では1400年。太陽を基とし1年は365日。
イスラム暦:マホメットがメッカからメジナへ還移(ヘジラと呼ばれる)した時(西暦622年6月)をもって紀元元年とした暦。月を基とし、1か月は29.5日、1年は354日。1993年はイスラム暦では1414年。
略史
紀元前11世紀頃
南インドに農業を得意とするボン族が住んでいたが、中央アジア・イランから侵入してきたアーリア人に敗れ、現在のベンガル地方に移住。ボン(Bang)族がつくった国(desh)ということでバングラデシュという地名ができたと言われている。ベンガル地方は長年インドの一地方であった。
紀元前4~2世紀頃
マウリヤ朝のもとで仏教文化が栄えた。アショカ王は道路や都市整備に力を入れ、ベンガル北部に大都市(プンドラバルダナブクティ)が建設された。
4~6世紀頃
グプタ朝時代はマイナマティ遺跡(コミラ)のような、仏教僧院が次々に建設された。
8~12世紀頃
パーラ朝時代は仏教が最も盛んだった時期と言われている。ソーマプラ僧院(バハルプール・世界遺産)などに周辺国から学僧が集まり、各国に影響をおよぼす仏教の一大中心地であった。
13世紀
この頃からイスラム教徒によるベンガル支配がはじまった。仏教からヒンドゥー教に改宗するとカースト制度の中で一番低い身分にされてしまうので、平等主義のイスラム教を選ぶベンガル仏教徒が多かったと言われている。
1549年 バゲルハットのモスク(世界遺産)を建設。
1608年 ムガール太守イスラーム・カンがベンガルの首都をダッカに移し、この頃からダッカが都市として発展するようになった。
1757年 プラッシーの戦いでクライヴ率いるイギリス軍はベンガル・フランス連合軍に勝ち、クライヴがベンガル州初代知事となり、イギリス支配が始まった。
1905年 共存していた両宗教だが、イギリス政府は、西側をヒンドゥ-教徒、東側をイスラム教徒の居住地とする大ベンガル分割令を発表。これが後年、バングラデシュの独立に大きく影響を及ぼす。
1947年 バングラデシュはパキスタンの東パキスタン州として英領インドから独立。 しかしベンガル語を禁じてウルドゥー語を唯一の言語とする政府発表など、西パキスタンに有利な政治経済構造に不満を持つベンガル人が増え始め、50~60年代は、言語運動、自治拡大運動が活発となる。
1971年 3月、パキスタンからの独立戦争開始。西パキスタン軍を相手に戦況は不利であったが、突如インド軍が介入し、12月16日ダッカがインド軍に占領されるとパキスタン軍が降伏。バングラデシュの独立が達成された。
1972年 1月、独立戦争を指導したアワミ連盟の総裁であるムジブル・ラ-マンが初代首相に就任。しかし、75年8月に軍部ク-デタ-により殺害。陸軍参謀総長であったジアウル・ラ-マンが実権を掌握し、78年に大統領に就任。しかしジアウル・ラ-マンも1981年5月に一部軍人の反乱により殺害される。
1982年 3月、エルシャド陸軍参謀総長が無血ク-デターで全権を掌握する。83年12月に大統領に就任するが、90年12月に反政府運動により大統領を辞任。
1991年 総選挙。バングラデシュ民族主義党(BNP)が勝利。カレダ・ジア党首(ジアウル・ラ-マンの夫人)が首相に就任。
1996年 総選挙。アワミ連盟が勝利し、シェイク・ハシナ党首(ムジブル・ラ-マンの娘)が首相に就任。
2001年 10月、総選挙。再びバングラデシュ民族主義党(BNP)が勝利し、カレダ・ジア党首が首相に就任。
2006年 10月、カレダ・ジア政権の任期満了に伴い国会が解散。2007年1月に予定される総選挙を実施するため、選挙管理内閣主席顧問(暫定首相)にイアジュディン・アハメド大統領が就任。
2007年 1月11日、イアジュディン・アハメド主席顧問が非常事態宣言を発令し、同時に主席顧問の辞任を発表。翌12日、前中央銀行総裁であるファクルディン・アハメド氏が主席顧問に就任。
2月、グラミン銀行総裁のユヌス氏が新党を結成し、総選挙に参加することを表明。
2008年 8月4日、国内4大都市を含む13都市の市長選挙や地方議会議員選挙を実施。 結果、前野党アワミ連盟が12都市の市長選で勝利した。
2008年 12月29日、1年近く延期されていた第9次総選挙が実施され、シェイク・ハシナ総裁(元首相)が率いるアワミ連盟(AL)が圧勝した。同総裁は2009年1月6日、第12代首相への就任を宣誓し、他の31人の閣僚を発表した。
2009年 6月19日、政府は電力消費の抑制を目的に国内全体で初めてサマータイムを導入した。これにより、時間を1時間早め、日本との時差は2時間となった。
サマータイムは2009年12月31日に解除された。